「本当にゲームには生産性がないのか」に関して追求してみた

ゲーム

「ゲームは生産性がない」

なんていうことが以前からずっと
ささやかれているのですが
果たして本当にそうなのでしょうか?

ということについて
私はしばしば研究しています。

今日もゲームの生産性に関して
お話ししたいと思います。

情報交換は対等な立場でしか成立しない

例えば、何かビジネスを始めたいAさんが
ビジネスに関する情報が欲しくて
ビジネスに詳しいBさんに
何の脈絡もなく情報交換を求めたとしても
情報の交換は成立しません。

Aさんの行為ははっきり言って
Bさんに情報はなく迷惑にあたります。

情報交換は
情報を持っている者同士が行うからこそ
価値があるのだと思います。

ゲーム中は身構えずに話が聞ける

ゲームをやっている時間は
当然ですがゲームをやっているわけなので
譲歩交換の時間ではありません。

ただ、ゲームの時間中に
ゲームのロード待ちの時間とか
他のプレイヤーがトイレへ離籍したときとか
ちょっとした相談を持ち掛けれる
余白の時間は結構多いです。

この時間帯を使って話題を持ち掛け
情報を入手することは意外とスムーズです。
(あまりしつこく持ち掛けると嫌われますが)

ゲームの背景に情報が落ちる

ゲームをみんなでやっている時に
ポロポロと創作の話が出たりとか
今自分がやっている活動の話とか
そういう話が出ることがあります。

ゲーム中の会話は
気持ち的に余裕があることが多く
リラックスして話すことができるので
真剣に何かに関して語るよりも
概念が大きく崩された
ブレイクスルーな発想が
生まれることも多いです。

以前はこのリラックスした会話の場が
飲み会や会食などと
似たような場だったのですが
このパンデミックで
自由に行えない環境になってしまいました。

ゲームのプレイヤーは 立ち位置がフラットである

ゲームをみんなで行う場は
飲み会の場に似ているといいましたが

飲み会より秀でたところも
ゲームには存在します。

それは
飲み会の場のような
ハラスメントが存在しないこと。

飲み会には
昔から形式があります。

まずは幹事の挨拶があり
偉い人の挨拶があり
お酌の文化があり
酒類強要の文化があり
乾杯はビールの文化があり
サラダを取り分ける文化があり
二次会までが飲み会という文化があり

などなど
実はなかなか窮屈なものも多いです。

ゲームにはそういったハラスメントや
カースト風なしきたりもなく
並列な立場で参加することができます。

みんなでゲームを楽しむために
マナーやルールの厳守も
プレイヤーに求められます。

つまり
みんなでゲームをすることは
飲み会よりもずっと砕けた時間を
デザインすることが可能なのです。

ゲーム自体は道楽なのかもしれませんが
その背景には大きな生産性が
見え隠れしているかもしれません。

言わせてもらえば
まぁ
飲み会も道楽チックですけどね。

結論

楽しみたければゲームをやろう。
情報が欲しければゲームをやろう。
繋がりが欲しければゲームをやろう。
時間があるならゲームをやろう。

みんなゲームをやろう。


■楽しいことを創造する
楽しいことツクルンダー
センキューオオノ

Amazonほしいものリスト